ありがとうございます   酒は百薬の長   微生物との響き合い   支えられて生かされる

 ●てのひら造り●
 透き通った冷たい井戸水に米の入った洗米笊(せんまいざる)を沈める。米粒を潰さないように、でもお米がきれいになるように、少しでも美味しいお酒ができるように想いをこめて米を洗う。機械を使わなくなって、始めのうちは切れるように冷たい水から逃れるために付けていたゴム手袋も、いつの間にか付けなくなり、0℃を下回る朝でも素手で洗うようになった。
 和釜の上で米が蒸しあがると、熱気の抜けないこしき甑に入ってスコップひとつで掘り上げる。それを麻布の上に拡げて何度も手を入れ
て冷ましていく。ちょうどいい温度になった蒸し米は麻布にくるまれてひょいと担ぎ上げられ、麹室(こうじむろ)や酒母室(しゅぼしつ)、仕込タンクへと次々に運ばれていく。
 蔵人達は寺田本家の酒造りに対する想いに魅せられて、全国から集まってきた変わり者たち。そんな変わり者たちが、自ら進んで手をあわただしく使って仕事をする様子をみて、当主は、手からは「癒しの波」がでていると説明する。
「お母さんが手で握ったおむすびは美味しいでしょ。しかも美味しいだけじゃなく食べた子供が元気になっちゃうのは納得できるよね。それは手から癒しの波、光の波動がでているからなんだ。酒造りでもてのひらを使って仕事をすることで、飲んで元気になっちゃうお酒ができるんだな」

  生もと(きもと)仕込み
 手仕事で造られるお酒こそ本物のお酒なんじゃないのかな?人のお役に立つお酒ってなんだろうな?と考えていくと、生もと仕込みという昔ながらの仕込み方法に辿り着いた。
 江戸時代の中期に確立されたといわれるこの技法は、様々な微生物の生命のバトンタッチで醸されていく仕込方法だ。
 朝蒸したお米を夜八時ごろ木桶に麹(こうじ)・水とともに仕込む。蒸し米や麹はゆっくりと水を吸うので、全体がまんべんなく水を吸うように、夜中何度も起きて手でかき混ぜる。寒い中、眠たい目をこすりながらの作業は体が芯から凍える。
 翌朝には木桶の中で、水を吸った蒸し米や麹が山のように盛り上がっている。それを、蕪櫂(かぶらがいまたはサテイ櫂)と呼ばれる櫂棒(かいぼう)で2〜3時間おきに蔵人総出で唄を唄いながら摺り卸し(すりおろし)ていく。山を摺り卸していく様子から、この作業は“山卸し”(やまおろし)作業または“もと摺り”(もとすり)と呼ばれる。そしてこのときに唄われるのがもと摺り唄と呼ばれる唄だ。

    酒屋唄
 昔から酒屋には唄がつきものだった。さらに言うと昔の日本の暮らしには唄が寄り添っていた。仕事と生活が今のように明確に分かれていなかった頃、日本には農家・職人・漁師などさまざまな手仕事の現場で仕事唄が唄い継がれていた。そんな唄も効率化・機械化のなかで時の彼方へ忘れ去られていたのだが、寺田本家では、機械を廃し、手仕事でお酒を造っていこうとしたとき、蔵人の一人が酒造り唄を口ずさみ始め、それが他の蔵人にも広がりいつしか皆で酒造り唄を唄うようになった。
 すると唄で伝わる音の波は、蔵内に素敵な現象を起し始めた。
 ひとつは、先人たちの酒造りの感覚が見えてきたこと。昔、時計のなかった時代には唄でもって時間を計り、仕事の量を決めていた。杜氏がお米の硬さ、蒸し具合などを判断して、唄の長さを決める。そうすると、唄によっていつも一定の仕事ができることを身をもって学んだ。
 さらに蔵人達が唄い舞うようにもとを摺り、もろみにかい櫂を入れることが仕事にリズムを生み、造り手の心がひとつに束ねられて、チームワークである酒造りの現場に和やかな「和」が生まれた。

 てのひらからでてくる癒しの波と、唄によって伝わる響きの波、この二つの波は寺田本家の酒造りに大きな変化をもたらした。
 中でも一番の変化は蔵元の想いと響き合う、楽しくお酒を造るという想いだと、蔵人は口を揃える。
 「楽しくお酒を造ることで微生物と響き合い、できてくるお酒にも楽しい気(波)が伝わる。そんな楽しい気の詰まったお酒を飲むと、飲んだ人やその場にも楽しい気が満ちてくる。そうして寺田本家で楽しくお酒を造ることで楽しさの連鎖反応が起こって、世の中が少しでも明るく平和になればと思い日々仕事しています。」



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